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自己紹介
星野 章は長年、プラント建設のプロジェクトマネージャーを経験し、2002年〜2007年の間は、オーナー側でのプラント建設も経験しました。
1972-1973年、若年26歳の時インドネシアのバロンガン原油貯蔵出荷設備(当時の貨幣価値で約100億円、2008年現在では300億円ぐらいでしょうか)の試運転-動機械担当で、インドネシアに7ヶ月出張しました。当時の日本では、海外工事が始まったばかりで経験も浅く、日本人総動員、竹やり攻撃的な感じでした。カルチャーショックもあり、命がけの覚悟まで決めていました。
2度と海外プロジェクトは御免だと決めていたつもりでしたが、4年後の1977-1978年に再び、インドネシア・スマトラ、4駆ジープでなければ行けない奥地、虎、象、キングコブラが出てくるというジャングル奥深くの地で、ガスエンジン・コンプレッサー基地建設に従事。 近隣の中学生ぐらい20人を使っての組み立て工事で、まさにアドベンチャーの感がありました。
1984-1986年、サウジアラビアARAMCO原油脱塩設備(当時の1億ドル、約300億円)のプロジェクトは米国流でした。エンジニアリング業務内容が契約で事細かに決められていて、その対応のために、設計、プロジェクト管理、工事監督のために、最大100人もの日本人が現場に駐在をしていました。 日本のホスト・コンピュータで計算された進捗データが、サテライト・コミュニケーション・システムでサウジアラビアに伝送され、モデム経由で受信したデータを、当時最新の16ビット・パソコンでデータ加工をし、DOSベーシックでグラフを作成して進捗報告書を作成しました。 受信データにエラーが混じるトラブルを解決するために悪戦苦闘もしました。
当時は未だ、インターネット、ダイアルアップさえない時代でした。
1988-1991年、インドネシア運輸省交通局のバリ島国際空港大改造プロジェクトの内、ジェット燃料貯蔵・ハイドラント設備EPC契約は、小さな海外プロジェクトでした。プロマネ兼何でも屋の自分、配管担当、電気・計装担当の3人の日本人だけで、現地の会社と協力して遂行する計画としました。また、サテライト・コミュニケーションは大変費用が掛かるため、すべての業務を現場処理する独立プロジェクト部隊構想を計画し、プロジェクト進捗管理システムを計画、パソコンで使えるDbaseソフトによるシステムを構築し、インドネシア人のプロジェクト管理兼オペレータを教育して、毎月の進捗報告書を作成しました。 当時の16ビット・パソコンの性能では、進捗計算完了までに約3日間を要し、また、当時のインドネシアでは、毎日のように停電があったので、その対策のため、ソフトに工夫もしました。
1975年に、ホスト・コンピュータのフォートランで、騒音マップを計算させるプログラムを独自開発、その後、ポケコン、パソコンによる各種技術計算ベーシック・プログラムを作成、天然ガスの組成割合入力だけで圧縮係数も自動計算させ、パンハンドル式を用いたパイプライン圧力損失計算プログラムも作成しました。 このような経験を元に、マクロ・プログラミングを付加したスプレッドシートを用いて、プロジェクト進捗管理様式を独自確立してきました。
上述、および、下述の概要経歴を経て、現在のPIMBOK等のプロジェクト・マネジメント体系が確立される以前より、自分はプロジェクト・マネジメントを実践してきました。
現在、PIMBOKに代表されるプロジェクト・マネジメント体系のガイダンス、教科書が世の中に溢れていますが、プロジェクト・マネジメントのプロジェクト管理、特に進捗管理をどのようにすべきかの実践プログラムは見当たらないようです。
諸先輩に比べて、まだまだ限定された経験の範囲ですが、本ホームページを通じて、プロジェクト・マネジメントの実践を紹介してまいります。
概要経歴:
1970 | : | エンジニアリング会社に入社、プラント建設の動機械技術設計に従事。 |
1972-1973 | : |
インドネシアのバロンガン原油貯蔵出荷設備(当時の約100億円強)グラスルーツEPC契約の動機械技術設計・試運転に従事。 油・ガス分離ステーション2箇所、50kmパイプライン、ガスエンジン駆動の6000m3/h出荷ポンプ及び付帯設備多数、2重管海底パイプライン等。 |
1973-1976 | : | 日本国内の各種石油脱硫設備EPC契約の動機械技術設計・試運転に従事。 |
1977-1978 | : | インドネシア・スマトラ島ガスパイプラインのガスエンジン・コンプレッサー基地EPC契約(当時の約50億円)の動機械技術設計・試運転に従事。 |
1978-1981 | : | サウジアラビアの各種パイプライン・ステーションの動機械技術設計担当の見積・実行業務に従事。 |
1981-1982 | : | アブダビのオフガス圧縮設備・ガスタービン発電設備のEP+SV契約(約6億円)のPE(実質PM)業務に従事。 |
1983 | : | イラクのオイルフィールド油・ガス分離ステーションの見積PM業務に従事。 |
1984-1986 | : | サウジアラビアARAMCO原油脱塩設備(当時の約300億円)EPC契約のサウジ国内設計と建設でのプロジェクト・コーディネーター兼PEに従事。 |
1987 | : |
韓国エチレンプラント用排水の高圧湿式酸化設備EP+SV契約の技術・コマーシャル交渉・契約締結に従事。(米国ケロッグ社との交渉) サウジアラビア各種プロセス設備の見積PM業務に従事。 |
1988-1991 | : | インドネシア運輸省交通局のバリ島国際空港大改造プロジェクトの内、ジェット燃料貯蔵・ハイドラント設備EPC契約(約20億円)のPM業務に従事。 |
1991-1994 | : | インドネシア運輸省交通局のバタム島国際空港大改造プロジェクトの内、ジェット燃料貯蔵・ハイドラント設備EPC契約(約60億円)のPM業務に従事。 |
1994-1995 | : | 中国シンセン低温LPG貯蔵設備の見積PM業務に従事。 |
1996-1997 | : | タイ国の化学プラントEPC契約、インドネシア・エチレンプラント工事契約の見積PM業務に従事。 |
1997 | : | 中華民国、運輸省交通局、台北中正国際空港新交通シャトル無人交通システムのプロジェクト・マネジメント指導・管理業務に従事。 |
1998-2001 | : | シンガポール、エジプトの各種石油化学プラントEPC契約の見積PM業務に従事。 |
2001-2002 | : | 調達部門に移籍。会社倒産により、債権データを照合・整理・データベース化し、検索システムを構築。また、債権者との交渉役に従事。 |
2002 | : | 関西、化学会社に中途入社し、エンジニアリング企画部に配属。 |
2002-2003 | : | 廃プラスチック・リサイクルのプロセス設備建設計画の技術リーダー業務に従事。 |
2003 | : | 化学品製造設備建設計画など、契約コンサルティング業務に従事。 |
2004-2007 | : | 中国化学品製造プラントの設計・調達・建設・試運転の完了まで、副リーダー(PM)業務に従事。 |
2008/5 | : | 関西、化学会社を定年退職し東京に戻る。 |
2008/7-8 | : | 派遣社員としてエンジ会社のタイ化学品製造設備建設プロジェクトの動機械担当に従事。 |
2008-2011 | : | 派遣社員としてエンジ会社のアルジェリアプロジェクトの購入品進捗・インボイス金額管理担当に従事。 |
2011 | : | 派遣社員としてエンジ会社のコミッショニング部、コミッショニング・エンジニア派遣業務 |
2012 | : | インドネシアの設計製作会社、ジェネラルマネージャー: 製缶品、プラットフォーム、ダクト等の設計、製作、据付 |
2013 | : |
インドネシアのエンジニアリング会社、プロジェクトマネージャー プロジェクト業務の傍ら、IRRを計算するためのニュートン近似法、ラグランジェ補間法などのVBAプログラミングの教育を実施。 |
2014-2023/6 |
: | 派遣社員として、製造メーカのエンジ部門の海外プロジェクトの輸出業務:自ら構築したExcelデータベースとマクロにて、輸出貨物の出荷管理、インボイスなど各種帳票の出力、及び、輸出貿易管理令に基づくデータ処理と各種帳票の出力 |
2023/8 | : | シルバー人材センターでの学校の施設管理業務:3日に一度で、平日は夕方から21:30、休日は朝から21:30までの受付、施設管理(点検)の業務 |